気づきが活性化する時期

◎気づきが活性化する時期

 

コロナで世の中が賑やかになってから、私たちが意識を上げる気づきを得るということが、すこし鎮静化していたようです。

 

現実社会に対して目を向けることで、いろいろ考えるようになった人はかなり多くなったのではないかと思うのですが、この2年ほどの経験も踏まえて、考え方を見直し、生き方を変え、行動に移すようになった人たちの中に、その取り組みの結果として何らかの気づきを得る機会を得やすくなるようです。

 

試用期間ではありませんが、様子見ということなのか期間は定かではありません。

 

なにかがひと段落して次に移行したからという感じもします。

 

とりあえず、そういう時期にこれから入り始めたようで、5月くらいまでが一つの山場になります。

 

スピ系の人たちの活動も活発化してくるね、といわれました。

 

気づくなりのことをやったから、というのがその理由ですが、やったつもりでやっていない人はそうではないですし、こちらに主導権がある話でもないので、余談として書いておきます。

 

気づきの促しではないのですが、自分が求めている方向性によって、その気づき方は変わってきます。

 

どこを向いているか、ということもそうですが、その目的がより具体的であれば、焦点がしっかり定まっているほど意識の集まる濃度や密度のようなものが濃くなるため、返ってくる気づきも得られやすい、ということでした。

 

感覚的に、これまで停滞していたものが改めて動き出そうとしている感じがあるので、楽しみです。

 

 

 

◎覚醒の記憶

 

息子が4歳くらいの頃の話です。

 

ある晩、突然覚醒したことがありました。

 

一時的な覚醒でしたが、最近そのことを思い出し、改めて息子にその時のことを覚えているか尋ねてみると、断片的な記憶ですがまだ覚えていました。

 

その内容は、お腹の中にいた時、五井先生が現れて話してくれた内容は、息子がこれからどういう人生を歩んでいくか、何歳くらいまではどういうことを学んでいくか、などだったそうです。

 

そして話が終わると、そのまま出産を迎え誕生したそうです。

 

また、覚醒状態の時に私や妻の課題なども話してくれて、その時は誰かに教えられたのではなく、それが分かったと話していました。

 

改めて話を聞いてみると、いま自分たちが日々の生活で意識して取り組んでいることがそのまま語られていた、という感じです。

 

こうした体験は息子が意図してできることではありません。

 

指導する存在の意図で起きることです。

 

また、この時語られた内容はなにも特別なことではありません。

 

誰もが日常的に取り組みうる課題です。

 

しかし、大したことではないように思えても、それが自分にとって必要なことだと思えば、やったなりに前に進む感じ、積み重ねている感じがします。

 

やらなければ変わらないのですから、他愛が無いことに思えても、自分のためになるのであれば、やはり一生懸命取り組むといいでしょう。

 

 

 

 

◎それが自分にとって大事だとわかるかどうか

 

インスピレーショを通して話しをすると、真剣に受け止めるふりをして「なんだそんなことか」と本音が表情や態度に出る方はけっこう多いです。

 

そして、結局なにもしないで時間が過ぎていきます。

 

この世界は形の世界で、やった分だけ変わりますし、時間の制約があるため、いつか終わりを迎えます。

 

肉体的な衰えもあるので、今と同じように10年後も動けるわけではありませんし、今と同じ熱意をもって過ごせるかどうかもわかりません。

 

しかし、それでもその時大事だと思うことを意識して取り組み続けることで、なにもしないで過ごした場合と比べた時、その結果は大きく異なるものになります。

 

 

 

 

大事なことはすでに書いてありますし、伝えても来ました。

 

そのことを踏まえてどこまで実践できているかは人それぞれです。

 

同じように学んできたつもりでも、思うようにいかないことが当たり前、ということを忘れてイライラしながら過ごす人もいれば、人の自由を認められるようになり、自分の目の前のことに集中しやすくなっている人もいることでしょう。

 

自分がいまどういう状況であれ、よりよくという方向性を今一度意識できるのであれば、一度に全部できるようになるわけではありませんから、時に休みながらでも少しずつ取り組んで前に進んでいってほしいと思います。

 

 

 

 

◎「全肯定を知っている」こと

全肯定という言葉を知って理解できていることが少しでもあることは、意識の進化を求める人にとってとても貴重なことです。

 

これを読んでもそう思う人はいないでしょうが、いままであり得なかったことが起こった、というレベルの話です。

 

ひろかねさんから教えてもらった私たちが目指すゴールは、これから先の人類全体のメインテーマでもあるのです。

 

前も書きましたが、覚醒できるかどうかの決定権は私たちにはありません。

 

あちらの都合でなされることです。

 

ニンジンをぶら下げられても、直前で突然翻されることもありますし、不意にその時がやってくることだってあり得ます。

 

覚醒に対する特別視を外していくことをテーマに、ある時期から私はブログで書いてきました。

 

覚醒しても思い込みが取れてなければ、不用意に行動をしておかしな結果を受け止めることもあります。

 

決定権がない覚醒するしないに重きを置くよりも、自分でできるおかしな思い込みを減らしていく方が、より多くの人でもできることですし、カルマを積むことも減り、生きやすくなりやすいと思っています。

 

決定権が無いことを目標にしても結果は出ません。

 

「できないこと」をやっても「できない」で終わります。

 

ですから、改めて覚醒で煽るつもりもありません。

 

ただ、全肯定の考え方のもと、エゴを肯定して覚醒する、ということをひろかねさんが果たしているので、覚醒以外のところで私たちができることはできるだけやれば、覚醒する可能性も高くなるよ、ということはいえると思っています。

 

 

 

 

  

全肯定を目指してよりよく生きる、ということは、覚醒しなくても生きやすくなっていく取り組みですし、覚醒する可能性もあるものですから、より歪みの少ない覚醒を果たせる可能性もあることなので、どう転んでも困りません。

 

自分が何を目指して生きているのか、改めて考えていただき、その目的に合った内容がここに書いてあると思えば、読み返していただくか、いらした時に質問してください。

 

最近こういうことは書いていませんでしたが、ここを見てくださっている方たちへのきっかけになるようで、書くように促されました。

 

自信にもなるでしょうし、自分の取り組みの結果として気づきが得られるといいですね。